このエピソードでは、ドイツ・ベルリン在住の製造業開発職、阿部竜太さんをゲストにお迎えし、幼少期から学生時代にかけてのリアルな体験を語っていただきました。
バーレーンで生まれ、マレーシアのインターナショナルスクールで育った阿部さん。日本人の両親を持ちながらも、母国語は英語。11歳で“日本に帰国”したとき、彼は「日本語が話せない日本人」でした。
当時の日本での学校生活は困難の連続。授業の内容が理解できず、周囲と意思疎通が取れないことも多々ありました。それでも部活動のバスケットボールや、漫画との出会いを通じて、少しずつ言葉を覚え、日本での生活に慣れていきます。日本語の敬語表現や文化的な違いに戸惑いながらも、まわりの友人や先生のサポートを受けて過ごした日々。特にスラムダンクや遊戯王といった漫画が、言語習得の大きな助けになったという話も印象的です。
帰国子女としての経験、そして日本で過ごした小中高時代のリアルな苦労と工夫を、当時のエピソードとともにたっぷり語っていただきました!


阿部 竜太

ゲスト:
ドイツ・ベルリン 在住3年目 製造業開発職 阿部 竜太

二児の父。SF小説・映画好きが転じて飛行機、鉄道、車の機械が好きです。産業革命前後の歴史にはまっていて、ベルリン近郊の遺構を訪ねて関連本、資料読むのにはまってます。


ゲストQ&A

移住全般について

移住先はどこですか・どこでしたか?
ドイツ ベルリン
その場所を選んだ理由はなんですか?
仕事、環境、あこがれ。
いつから移住先に住んでいますか・いましたか?
2023年6月頃
いつまで移住先に住む予定・住んでいましたか?
未定。
いままでの海外遍歴を教えてください
11歳までマレーシア、大学院の時にフランスに短期プロジェクトで留学、仕事で韓国、アメリカに短期出張。旅行は東南アジア、ヨーロッパ、アメリカ。
移住前の英語・現地語のレベルはどうでしたか?どうやって勉強しましたか?
英語は母国語。日本語は中学生からスタート。
なぜ海外に移住したかったんですか?
異文化を楽しむ。子供に多文化視点を受け継ぐ。自分自身のアイデンティティ探し。
どうやって移住を実現しましたか?
転職。
海外移住してよかったことはなんですか?
上述の目的に向かっている。自分らしくいられる。
海外移住して大変なことはなんですか?
大変なことはそこまでない。だいたいは適応した。
将来的に他の国への移住も考えていますか?また、それはどうしてですか?
アメリカ、マレーシア

仕事について

職業は何ですか・何でしたか?
電池業界のプロセス開発エンジニア
職業の種類を教えて下さい
現地就職(現地企業)
どうやってその仕事を見つけましたか?
募集要項を調べて
海外で働いてみてよかったことはなんですか?
若い人と働ける。よく言えば新しいことが怖くない。
海外で働いてみて大変なことはなんですか?
あまり大変なことはない。大なり小なり、似たようなことが多い。信頼の取り方が出身国、業界によって違う。
日本でやってきたことで、海外でも役に立ったと感じる経験やスキルがあれば教えて下さい
ロジックの詰め方。整理。気遣い。ジェネラリストな視野。ポリバレント。
逆に、日本でやってきたことで、海外では役に立たなかったと感じる経験やスキルがあれば教えて下さい
ノーコメント。
海外でキャリアを構築する上で特に意識していることがあれば教えて下さい
優秀な人を見つけ、一緒に仕事できるように頑張り、近くで技を盗む。
将来的に日本に帰国し働くことも考えていますか?
古い習慣が改善されたら。

子育てについて

海外で出産しましたか?
いいえ
子供の人数と年齢を教えてください
4歳、2歳
海外での子育てについて、どのように感じていますか?
個を認めて長所を伸ばしてくれる。多言語環境に慣れる。

学校について

どういう学校に通っている・いましたか?
研究所
何を勉強していますか・いましたか?
流体力学
なぜ海外で学校に通うことにしたんですか?
機会があったから。
海外で学校に通うことでよかったことはなんですか?
自分を試せた。環境を見れた。
海外で学校に通うことで大変なことはなんですか?
学ぶ以外の生活を整えるなど他の学生よりハンデを負う。
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