2024年のクリスマスイブ、スペシャルゲストとして世界的に使われているプログラミング言語Ruby開発者のまつもとゆきひろさんに来ていただきました!!2024年ボスニアにて開催されたヨーロッパ最大のRubyカンファレンス「EuRuKo」に招待されていたまつもとさんにお時間を頂き、今回の収録をさせていただきました。
まつもとさんは海外移住経験は無いのですが、学生時代にキリスト教の宣教師をしていた時のアメリカ人同僚とのやり取りで英語力が磨かれました。その時の経験から英語に対しての抵抗はなくなっており、その後趣味で作り始めたプログラミング言語Rubyについて、当時既に著名だった Dave Thomas から Ruby の本を書きたいという連絡が(英語で)届き、その本の出版が Ruby が広まる最初のきっかけになりました。それから毎年海外でのカンファレンスも開催されるようになり、国際的にも積極的に活動されています。
英語についてパーフェクトである必要はない、そう考えれば可能性が大きく広がるのではないかとまつもとさんは語ります。世界の共通語は英語なので、英語を話さなければ閉ざされた世界になってしまい、それはとてももったいないことなのではないかとも語ります。また、聖書には「同じ国籍の者」という表現があり、生まれた国やパスポートは違うかもしれないがクリスチャンとして同じ信仰を持っているという意味なのだそうです。それはテクノロジー業界にも同じことが言えて、プログラミングが好き・Rubyが好きという点でコミュニケーションが取れたら友達になれるのではないか、と。Ruby はまつもとさんが欲しかった言語を作ったので、その言語が好きという人は自分と似た好みを持っており、国籍は関係なくそういう人たちとやりとりするのはとても楽しい、と感じているそうです。
最初は趣味で作り始めて、今では世界中で使われているプログラミング言語 Ruby。その Ruby の発展においてまつもとさんが英語を話せた、少なくとも英語に抵抗が無かったことは、間違いなく一つの成功要因になっているのではないでしょうか。逆に、海外の人とコミュニケーションを取らずに機会を逸してしまったものも無数に存在しているはずで、それは本当にもったいないことであり、その点で Ruby は世界的に成功した素晴らしい例なのではないでしょうか。
まつもとさん、本当に貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました。後半は同じインタビューから専門的な内容を抜粋したとしたテックトークをお送りする予定です、お楽しみに! Merry Christmas!
ゲスト:
国際登壇多数 プログラミング言語 Ruby 開発者 まつもと ゆきひろ
プログラミング言語Rubyの創始者。一般財団法人Rubyアソシエーション理事長、株式会社ZOZOやLinkers株式会社など複数社で技術顧問などを務めている。オープンソース、エンジニアのコミュニティ形成などを通じて、国内外のエンジニアの能力向上やモチベーションアップなどに貢献している。島根県松江市在住で、Ruby開発の功績から2009年に同市の名誉市民にも選ばれ、2012年には内閣府より「世界で活躍し『日本』を発信する日本人」の一人に選ばれている。通称は「Matz (マッツ)」
Contents
所: はい、じゃあ海外移住channel を始めます。
所: 今日はあのすごいスペシャルゲストで、ここはあのボスニアのサラエボなんですけども、EuRuKo というカンファレンスで、あの、もちろん招待して来られている Ruby の開発者のまつもとゆきひろさんに来てもらっています。
まつもと: はい、よろしくお願いします。
所: 海外移住っていう文脈って意味では、なんか正確に今ちょっと話聞いてたら、移住したわけじゃないっていう感じっぽいんですけど。
まつもと: そうですね、まあ Ruby は世界中で使われているので、いろんなところのカンファレンスとか行ったりするんですけど、私自身はその移住したことはなくて、ずっと日本に住んでますし。
まつもと: で、長期に海外行ったこともないんですよ。多分2週間以上海外に行ったことないのかな。
まつもと: なんだけど、まぁこう海外経験はいっぱいあるっていう数は多いっていう形で呼んでいただきました。
所: はい、ありがとうございます。
所: で、特にまぁ僕もちょっと僕も Ruby をむちゃくちゃこう開発者として、僕はもう2006年ぐらいかな
まつもと: そんな前から
所: はい、大学生の時にそのプログラミング、最初僕は学生で、で、しかも営業だったんですが、インターンしてたのが。その時に Yugui さんが、僕と同じオフィスで
所: あーそうなんだ
所: そうです。それで、その時にあの初めてプログラミングをちょっと興味持って、Yuguiさんが楽しそうにしてるから、で、何がいいですかね?って言ったら、いや Ruby でしょうって言われて。
まつもと: まあ彼女ならそう言うね。
所: で、そこから始めてて、実際にはその後ものすごい、、ちょっと知らない方用に言っておくと、もう Ruby ってソフトウェアエンジニアの歴史で言ったら、もうかなりリマーカブルっていうんですかね、もう重要な1ページを刻んでいる言語でして、特に海外移住channel だからというわけではないですけども、その一つの要因としてあるのは、間違いなくまつもとさんが英語がペラペラっていうところは一つあるし、さっき言った海外経験がかなりあるっていうのは、僕はすごい要素としても大きいと思ってて、その辺の話も僕はすごい聞きたくて、実は今回すごい特別にちょっとお願いして。
まつもと: ありがとうございます。
所: まつもとさんを捕まえて、まつもとさんのお部屋にお邪魔して録らせてもらってますけども。はい、そんな感じで。
所: で、そうですね、じゃあまつもとさんがそうですね、その英語っていう観点で言ったら、その辺のことを聞いてもいいですか?
所: いや、これがですね、あのこうどこで勉強したかよくわかってないんだけど、まあ英語の勉強は、普通の日本人なので、中学校と高校で普通に英語の授業がありました。で、大学でも一応英語の授業はありましたっていうんだけど、別に会話とか習わないんですよね。
所: そうですね。
まつもと: で、何かなと思って、他の人と違うのは何かな?って言ったら、大学の時に2年間休学して。で、キリスト教の宣教師で、任地は日本だったんですけど。で、なんだけど、その2人組でずっと行動してたので、その二人組みの相棒がね、大体ほとんどアメリカ人だったんですよ。
まつもと: で、あとそのレポートラインというか、そのボスがあの日本語の喋れないアメリカ人で、英語を使う機会はいっぱいあったんですよね。で、多分その経験が他の人と違うのかなっていうぐらいしか、あんまり心当たりがないんですよね。
所: ただなんかその話を聞いて僕は思ったのは、その、例えば英語を勉強にしに行くっていう人はそこそこいるんだけども、英語で何かをするっていう経験って結構実は少ないなと思って。
まつもと: そうかもしれませんよね。
所: で、特にそのまつもとさんのお話だと、そのキリスト教の宣教師じゃないですか、特にその文化的背景。まあキリスト教って言ったらめちゃくちゃね。その辺のことも含んでくると、特に英語の語彙というか、その英語が言葉だけじゃなくてその文化に触れるっていう意味では、しかも宣教ですもんね。
まつもと: まあ宣教はね、相手は日本人にしてたわけだから、そっちの方はこう日本語使うことが多かったんだけど、でもその相棒と相談したりする時とか、ボスにレポートする時とかは英語なので。
まつもと: で、当然その、えっとね、私の語彙だいぶ偏ってて、宗教関係とIT関係はすごいいっぱい語彙があるんだけど、日常語彙が若干薄いっていうのがあってですね、まあちょっと偏ってはいるんですけど、だけどまあ何かのコミュニケーションのために、そのコミュニケーションの手段としての英語っていうのは、まあ痛感しましたよね。
所: すいません、それがいつ頃でした?
まつもと: えっとね、それね、1986年とか。
所: 僕は生まれてないですね。
まつもと: そうですね、昔、昔の話、私がまだ20歳そこそこの頃ですね。
まつもと: で、えーっとそうですね、あの、彼らもね、日本に来て日本語をしゃべるんだけど、で、ものすごい勢いでうまくなるんですよね、日本語がね。
まつもと: で、あれ何かって聞いたらですね、あのなんかイマーシブって言ってたんですけど、つまりその、その言語にどっぷりつかって、その言語で話す、その言語でコミュニケーションする、その言語で考える、ずっとするっていうのがなんか言語学習にすごくいいらしくて。
まつもと: で、えっと、私たちの教会の宣教師て任期2年しかないんですよ。だから言語習うの2年かけてたらもう終わっちゃうんですよね。
まつもと: だからなんか半年とかでね、とりあえずなんとか喋れるようになるんですよ。英語しかできなかった人が日本語を。それすごい大変そうだなと思うんだけど、逆もあって。
まつもと: で、その私は同僚とずっと話をしてる時とか、ボスと話をしてる時とかに英語をずっと使ってるので、まあ彼らほど完全ではないけど、ある程度イマーシブな環境だったので。でコミュニケーションするのも英語を使いますとかで。それが良かったんだろうなっていうふうに思いますよね。
所: そうですよ。だってそうですね、目的もはっきりしてて、で、そんなちょっと簡単でもなかったりしますよ。
まつもと: そうですね。
まつもと: だから、えっとまあ多分海外移住された方が、あるいは海外留学された方は勉強するために行かれたので、で、勉強することがゴールで、英語はその手段であるっていう認識でずっと英語を使われることが多いので、そういう環境にある方は、まあ多分すごく早く伸びるんじゃないかなと。一方、そのまあいわゆる語学学習みたいな感じで、英語そのものが目的になっている人っていうのは、こう、まあなんか明確なゴールがないのでフォーカスしづらいのかなって。まあそれは推測ですけど。
まつもと: あとなんかよく海外行って日本人同士でつるむことってありますよね、同郷だからとか。なんだけど、言語学習っていう点ではちょっともったいない気がしますよね。
所: そうですね。まつもとさんは日本でしたけども、アメリカ人の同僚、同僚ですよね
まつもと: 同僚ですね、はい
所: と一緒にゴリゴリと(英語を)使っていて、ちなみにその間は本当に2年間宣教師としてガッツリ時間を使った?
まつもと: そうですね、フルタイムでした。
所: フルタイムで!
まつもと: はい。だから朝起きてから夜寝るまでずっとキリスト教の話ばっかり。
所: そのその時っていうのは、感覚ってちょっとどうなんですか、感覚として日本に住んでるっていう感じでもなかった?
まつもと: そうですね。ただ、この日本に住んでも、街に出て人と話をしたりする時は、当然日本人に日本語でしゃべっているので、その時は日本なんですけど、アパートにも同僚と打ち合わせをしますとか、世間話をしますとか、そういう時は英語が多かったですよね。
所: で、それがまつもとさんが何歳ぐらいのとき?
まつもと: 20歳から21歳ぐらいのとき
所: なるほどなぁ。なんかこう、今例えばこことかでまつもとさんも招待されて、当然この国際カンファレンスなんで、英語で、来てる方も英語だし、当然トークも全部英語だし、まつもとさんももちろん英語で話されるし、もうそんなことになるなんてもちろん思ってなかった当時。
まつもと: あぁ当時?ああもう全然、全然。英語をこんなに使うことになるとはって。やればできるけど、こんなに使うことになるとは当時全然思ってなかったですね。
所: その当時はプログラミングはもうすでに(やっていたんですか) ?
まつもと: 大学でコンピュータサイエンス専攻してて、途中で3年から4年に上がる時に休学したので。あ、待って、2年から3年か。2年から3年の時に休学したので。
まつもと: で、えっと、だからコンピュータサイエンスをやってて、プログラミングも当然やってましたね。なんだけど、Rubyは全然まだ。
所: あーそっかそっか。その時別にでもOSSにコミットしたとか全然。
まつもと: 全然何もないですね。ただの学生です。
所: まあ今だったら、例えばこっちでもよく聞くのは、特にエンジニアの中だったら、そのOSSにコミットして、それでディスカッションは当然英語だから、その読み書きとして結構使って触ってるけど、話せないけどっていうパターンを結構やっぱり見るけど、まつもとさんは入りの英語っていう意味だったらそうでもないってことですか?
まつもと: そうですね。それはあの、まあこう、その宣教師生活が終わった後、3年、4年の時には、後、海外のこう、あのBBSとかでこう議論したりとか、会話したりとかはしましたけど。だけど、まぁそんなに、でもそんなでもないですね。
所: で、それからずっとこの英語というか、その海外に触れる生活をしてたんですか?
まつもと: 全然。
まつもと: そうね、いつぐらいかな、1997年、98年とかになって、ようやっとその Ruby が海外でも知られるようになってきたので、ドキュメントを英語にしましょうとか、なんか問い合わせのメールが来るので、それに英語で返事をしましたみたいなことがあったけど、それはだから、宣教生活終わってから10年ぐらいたってからなので、10年間ぐらいはあんまり英語使うこともないし。
まつもと: えっとまあ、そのプログラミングはずっとしてたので、その海外のドキュメントを読むみたいなことはしましたけど、会話みたいでは全然10年ぐらいしてなかったですよね、本気のは。
所: ほんとちょっと(期間が)空いてた?
まつもと: そうですね。この英語でのコミュニケーションって意味ではそうですね。たまに英語のメールを書いたりしたくらい
所: それで、例えば今日とか、例えば今ちょっとランチ行ってたけど、全然普通にコミュニケーションも取れるじゃないですか。
まつもと: はい。
所: それは、ブランクが空いてると、そのやっぱその時のやっぱ経験から?
まつもと: そうですね、過去の経験を思い出して話したんでしょうね。はい。
まつもと: で、Rubyのカンファレンスとか、海外でも開かれるようになって、海外に行く、頻繁に行くようになったのは2001年からなんですけど、だからそれはさらに後ですよね。
まつもと: 13、4年ぐらい。英語生活から13、4年くらいブランクがあって。
まつもと: で、その年に海外のカンファレンスに呼ばれて行くようになったんですけど。そうですね、まあ下手くそな割にずっとあんな感じでコミュニケーションしてきましたね。
所: いやいや、でもだって質問も結構ガンガン来るし。
まつもと: そうなんですよ。困りますよね。
まつもと: 質問されるとですね、まぁこう聞き取らないといけないんですけど、まぁそれを瞬間的にこう英作文して返さないといけないんですけど。まぁでもまぁ回数をこなすと慣れるんですかね。
まつもと: こうカンファレンスとかで立ち話した時に、なんか昔に比べて英語上手になったねとかこう言われたりして、そっか、上手になったんかとか自分じゃわかんないけどなとか。っていう感じですかね。
所: 日本とかで別に勉強してるとかじゃないですもんね。
まつもと: 僕ね、勉強するの嫌いなんですよ。ほんとね。
まつもと: だからみんな真面目にその英語学校とかよく行くじゃないですか。
まつもと: こうなんかイーオンとか、ジオスとか、あとなんだっけ? duolingo とかでね、ネットで勉強しますみたい人もいて、すごいなぁと思って。尊敬するわ。
所: マッツ(注: まつもとさんの通称)、そんなこと言ってるけど、全然、、えぇ、そうなんだ!
まつもと: そうなんですよ。ので、僕は本当はね、みんなが日本語しゃべってくれ、全人類日本語しゃべれたらそれがいいに決まってると思ってるんですけど、そうはならないので、残念ながら。仕方がないので英語しゃべってるんですよね。
所: でも、例えばそのプログラミング言語にも、例えばその大御所というか有名な方とか来て、結構激しめのディスカッションとかも多分あったりするんですよね。
まつもと: まぁあの頻度とか時間とかという意味ではディスカッションしますよね、はい。
所: その時に使ってる語彙とかって、例えばその当時のものとはだいぶ違ったりするわけじゃないですか。
まつもと: だいぶこう会話の回数が増えたので語彙増えましたよね、昔に比べたらね。
まつもと: 昔は本当に宗教用語と日常会話の用語プラス宗教用語とIT用語しか分からないみたいな感じだったんですけど、それに比べたらもうちょっと語彙が増えたかもしれない笑。
所: ちなみにその当時、何で英語でやろうと思ったんですか?その英語で、その当時、宣教師をそのアメリカ人の方が来るっていうことでも、なんでそれをやろうと思ったんですか?
まつもと: 僕が選んだわけではないので、あの宣教師になるってのはもちろん選んだんですけど。
まつもと: で、なんだけど、その宣教師になった時に、例えばボスが日本人なのか外人なのかとか、あと同僚が誰になるのかみたいなことは、まああのこうなんていうの管理者が決めるので、私は全然選択肢がないんですよ。
まつもと: で、中にはね、日本人同士で働きますみたいな人もいて、その場合は英語使わないわけなんですけども。私の場合は、たまたまですけど、何人、ごく2年間の間、ごく短い例外を除いて、ほぼ英語圏の人だったので。たまたまですね、まあまあアメリカ人の方が多いので、そんなに珍しいわけでもないんですけど、英語を使う機会は多かったですよね。
所: ああ、運命的というか、すごいことだったなと思って。それがあったから、今ここにそのRubyが流行って。いや、僕は本当にRubyが流行った原因って英語も
まつもと: まあ英語もあるでしょうね。何を聞いても日本語でしか答えない人の言語はなかなか使おうと思わないでしょうね。
所: いや、でも僕、あの、僕海外で働いてるじゃないですか。まつもとさんの影響力ってすごいなと思って。だって僕とか、ドイツとかでも全然日本人なんかいないし、エンジニアでも全然いない。
まつもと: 少なそうですよね。
所: 全然。同僚に、例えば日本人見たことある?って(聞いたら)、ああ、そういえば初めてだね、みたいな感じで、何のアドバンテージもない。
まつもと: 日本人であるってこと?
所: うん。
まつもと: はいはい。
所: でも、今日とかもそうだけど、基本的にもまつもとさん大人気で、Matz っていったら Matz だよねっていう
まつもと: まあそうだね、Rubyのカンファレンスだからね。
所: でも、すごいことだなと思って。
まつもと: そうかな。ありがとうございます。
所: その壁を結構突破できないものって、なんか日本でも結構多いんじゃないかなと思って。
所: 日本にあっていいもの、あるものとかでもその言葉ができないばっかりに。このRubyの中でも、例えばあるライブラリとかが、そのRubyのライブラリとかが、 (Ruby on) Rails に入ろうって話とかがあっても、その英語でメールが来ても、いやちょっと英語無理ってことで、本当はそのライブラリの方が早かったのに Rails 側がしょうがなく新しく作ったみたいな話も聞いたことがあって、そんなのありますみたいな。
まつもと: そうなの?
所: はい。しかも同じものを完全に作ってたし、あっちもこれ取り入れようと思ってそもそも連絡してたのに、もうこれとか、ちょっとなんていうか正直もう言語だけの問題じゃない、ちょっと心理的な問題。
まつもと: 心理的な問題はあると思うね。
所: それすっごい大きいと思う。
まつもと: 大きいと思いますね。
まつもと: 例えば、ちょっと2001年にカンファレンスに行くようになったって言いましたけど、その頃ね、この海外のカンファレンス、テクニカルカンファレンスに行く日本人ってほとんどいなかったんですよ。
まつもと: で、なんだけど、じゃああの、例えば2020年現在、そのRubyじゃなくても、その海外のテクニカルカンファレンスにちょっと行ってみますっていう話っていうのは随分増えたと思うんですよね。昔に比べてね。
まつもと: 例えば JavaScript のカンファレンスに行きましたとか、なんでもいいけど、こう Rust のカンファレンス行きましたとか、Swift のカンファレンス行きましたみたいな話ってのはあんまり珍しくなくなったと思うんですね。
まつもと: で、そういうその心理的バリアってのは、だから海外のカンファレンスでは心理的バリアっていうのは、こう、まあこの20年の間にすごく下がったんじゃないかなというふうに思ってて、それはすごくいいことだなと。
まつもと: エンジニアの国際化が進んだなっていうふうには思いますよね。
所: そうですね。あと、本当にラッキーなことに、もうそれこそプログラミング言語自体はもう一緒なので、本当に一緒のもの触ってるから。
まつもと: そうですね。
所: 言葉がわかんなくても、なんか言ってることがわかったりする。
まつもと: そうそう、なんか書いてコミュニケーションしてた人いましたね。
まつもと: あのこう、ここにバグがあるんだけどって言ってるけど、日本語と英語でなかなか通じないから、壁に何かプログラム書き始めて、で、ここがとかなんか言ってて、ああそうかそうかとかみんなで話をしてて。
まつもと: プログラミング言語は言語の壁を超えたわぁ、みたいな経験はありますね。
所: ありますね、それはありますね。
所: なんかやっぱ技術系の中でもなんか技術者、他の技術でもそういう話をちょっと聞いたことがあるんですけど、建築系でも、やっぱ図面を見せて、でそれでコミュニケーションを取るみたいな。それでもやっぱり言葉の壁はやっぱり
まつもと: できた方が楽ですよね
所: そう、完全に楽、ディスカッションにも加われないし。あと何ですかね、機会損失的な感じで言っても、さっきのすごい典型ですけど、もうなんかめちゃくちゃある気がしててね。
まつもと: もったいないねー
所: そこはまつもとさんは、そう呼ばれた時に、怖いというか、ちょっと行きたくないなとか、そういうのはあった、大丈夫だったんですか?
まつもと: めんどくさいな、面倒くさいんだけど、どっちかと引きこもりなんで、ずっと家にいたいんですけど。
まつもと: そうは言ってもね、まあ例えば2001年に最初のRubyカンファレンスをオーガナイズしてくれた時に呼ばれて、まあせっかくやってくれたんだから、まあまあお前の言語が好きだって言ってやってくれてんだから行かんとなーって思って、ずっと行ってたっていうのがあって。
まつもと: で、コロナになる前はずっと皆勤賞、一回休んだんだけど、それ以外はずっと皆勤賞だったりとかしたので。
まつもと: で、それはね、子供が生まれる時と重なったので、ちょっとこう、うちの奥さん、こう身重の今にも産まれそうな奥さんを置いてちょっと海外には行かれんわーって言って休んだんだけど、それ以外の時はずっと行ってたので。
まつもと: まぁそうね、まぁだからそういう人たちがいるから、まあ行くかって言って行ったら割とこう扱い良かったっていう笑 まあね、Rubyのカンファレンスだから。
所: そうだけども、でも最初の Ruby カンファレンスはアメリカとかですか
まつもと: そうですね。
まつもと: 2001年の11月にアメリカで開催されたのが最初のRubyカンファレンスですね。
所: その時はまつもとさん一人だけポンって日本人で行ったってことですか?
まつもと: えっとね、他にも二人ぐらい日本人来ててすごいなぁって思いましたけど。
まつもと: あのね、最初の Rubyカンファレンス は出席者36人ぐらいしかいなくて、今の何百人っていうカンファレンスから見ると、すごいこう吹けば飛ぶような感じだったんですけど。その中で3人日本人がいて、細々と。あ、今日来ている Dave Thomas もいましたね
所: あ、もう!早いですね
所: えーとね、だから Dave Thomas が2000年にProgramming Ruby って本を出してくれたんですよ。
まつもと: で、その本を読んでRubyを知った人たちが集まったとかだったんですよ。
所: それって元々は、まつもとさんが一人で作ってたんですよね。
まつもと: えぇそうですね Ruby という言語はね、はい。
所: そこから Dave Thomas が見つけたってことなんですよね。
まつもと: そうですね。97年、98年ぐらいに連絡もらって。で、なんかRuby面白いんだけどみたいな話をしてて、ちょっとやり取りしてたんですけど、99年に、えっと、どこだっけ、Addison-Wesleyの編集者の人からなんかこう、Rubyの本を書きたいって人がいるんだけどって言って連絡を受けて。
まつもと: で、著者、誰が書くの?って言ったら、Dave Thomas と Andy Hunt が書きますと、その人たち知ってんじゃんって
まつもと: で、彼がガリガリとすごい勢いで書いて、そうそうそう、1999年12月31日にメールが来たんですよ。
まつもと: Y2K の時のタイミングで。で、返事書いたら、なんか Dave Thomas が、いや、じゃあ僕今から書くからねとか言って、ソースコード読んだんだけど、これどういうこと?みたいな、こういっぱいメールが来てね。
まつもと: 僕はまあ英語喋れるけど、すごい得意ってわけでもないんで。で、なんかヒーヒー言いながら英語で返事を書いて。
まつもと: そしたらその年の11月にも本が出て、すげえ早い。
まつもと: で、その中、2001年の末、後半に出た本を見た人たちが、じゃあなんかちょっとこのRubyって言語面白いから、ちょっとみんなで集まろうかで集まったのが最初のRubyカンファレンスで、ちょうど出版から1年後の2001年11月ですね。
まつもと: ので、どっちかというと、僕は英語喋りたくて喋ってるわけじゃなくて、本当は本当は喋りたくないんだけど、環境上仕方なく喋ってるって感じですね。
所: 今までこの Ruby のとか Rails とか、その流れを見てきて。で、一つやっぱり問題意識として持ってるのは、みんな英語ができないとか、海外に行くのがこの心理的ハードル、どっちかっていうと技術的とかっていうより、っていうのを思っている。
まつもと: そうですね
所: そのさっき言ったまつもとさんが Dave Thomas から連絡をもらった。で、それに返信をしていて、言っちゃえばそこが始まりですよね、今言った通り。
所: それをちゃんと掴めた。で、さっき言った他の、僕の例で言った、そのライブラリが連絡したけども、その返事できなくて、それで(機会を)失ってしまった。
所: そういうものってめちゃくちゃあると思ってて。
所: 僕は海外に来てて思うんですけども、その結構、悔しさみたいなものを感じたりもする。
所: ある意味で言うと。その、これ別に日本人が通用しないとかってことは全然もちろんないし、 Ruby なんかめちゃくちゃいい例で、
まつもと: そうですね
所: むしろみんなが尊敬しているというか、この文脈というか界隈だともちろんそうなりますし、
所: それがなんか言語とか特に心理的要因で出せてないもの、逸しているものってめちゃくちゃあると思ってて、まつもとさん的にはどう思います?
まつもと: ちょっとえっとね、なんかこう。やっぱりその完璧主義っていうのかな、その、僕は英語できないから、こう返事するのはとてもとてもみたいな発想に陥りがちではあるんですよ。
まつもと: どうだろうな、どこの国でもそうなのかな。でも日本人は特に多いような気がしてて。
まつもと: で、私はその何て言うの?えっと、英語しゃべれませんから、こうちょっとコミュニケーションはちょっとみたいな、遠慮であるとか、引き下がってしまうみたいなことは日本人により多く見るような気がするんですよね。
まつもと: 一方、その国によってはですね、なんかめちゃくちゃなこう英語喋っしゃべって、で英単語並んでるだけみたいなこと喋って、で、はぁ?とか言ったらなんでお前わかんないんだみたいな顔するんですよね。
まつもと: お前の英語がわかんないからわかんないんだよって言いたいんだけど、そういう押しの強い人もいて。で、そう、でもトータルで見るとそれぐらいの方がいいんじゃないかな。
まつもと: わかんないのお前が悪いみたいな感じの。あるいはこうわかんないんだったらわかんないで、こう何回も説明するからいいよっていう風なところでもいいんだけど、そういうこう、とりあえず前に出てみるみたいなことはあった方がいいんじゃないかなっていう風な気はしますよね。
まつもと: でないと、だいぶもったいない感じがする。
まつもと: だってその、何て言うのかな、このカンファレンスもまあ基本的に英語でやってるんですけど、じゃあみんな英語上手かっていうと、まあそこまででもない人も結構いるんですよね。
まつもと: なんだけど、英語はだいたい生活の一部なので。で、まあだいたい普通にしゃべるし、で、そのまあまあ間違っても伝わるんですよね。で、それでいいんじゃないかなっていうふうな気はしますよね。
まつもと: 間違っててもいいんじゃない?最終的に伝わればみたいなことは思いますよね。
まつもと: で、日本ってものすごい恵まれてると思うんですよ。多分ね、世界中探しても、英語圏の国は別だけど、自分の母国語で英語じゃない母国語で、例えばコンピュータサイエンスについて勉強したい時に、最後まで英語を使わないで勉強できる国って多分世界中でほとんどないんですよね。
まつもと: たぶん中国と日本だけ、僕の知ってる範囲内ではそこだけ。ロシアもできるかな?ぐらいだと思うんですよ。
まつもと: 他の国とかだと。えっと、まず教科書がない。そのその母国語の教科書がないで、えっと、で、語彙がないので、えっと、母国語でそのITとかプログラミングについて教える教室が持てない。ので、そうすると日本だととりあえずね、全部日本語で済むわけじゃないですか。
まつもと: それはすっごい恵まれたことなんだけど、でも恵まれたことであるがゆえに英語を使うチャンスがないので。でも世界的にはやっぱり英語で話さないとこう、リンガ・フランカじゃないけど、その世界共通言語は英語になってしまっているので。
まつもと: で、そうすると、こう、何か閉ざされた世界になっちゃうわけですよね、言語的に。で、まあそれはそれでだいぶもったいないなという気がします。
まつもと: そうすると誰かがその日本語にしてくれるまで待たないといけないって意味で、その時間的ビハインドもあるし。で、そういうことについて学ぶ機会が遅れるって言う意味では、まあ知識のビハインドもあるし、まあそういういずれにしてもだいぶもったいないなというふうな気がするんですよね。
まつもと: で、そのためには別にその、何て言うのかな、その、私は海外留学しました、海外移住しました、海外で働けますっていうレベルの英語は必要ではないんですよね。
まつもと: なんだったら Google翻訳使ってもいいし。
まつもと: で、えーと、じゃあ例えば所さんがこう海外に住みますって決心した時に、じゃあパーフェクトイングリッシュでしたか?
所: もちろん、もちろんノーです。とっても苦労しました笑
まつもと: そうなんですよね。なので、インパーフェクトでもいいっていうふうな思いがあると、すごい可能性が広がるんじゃないかなと。
所: ですね。
まつもと: 完璧主義は人を苦しめるっていう。まあなんかね、僕の英語もちゃんと文字起こしたらひどいもんですけどね、間違いだらけで。なんだけど、まあ伝わるので、まあいいやって。
所: まあなんか、何で話すか、何を話すかみたいな話もありますし。
まつもと: まあみんな聞きたいって言ってくれてるんだから、お前の英語下手くそでも、まあその内容は聞きたいから、まあいいやって言ってくれるから、まあそれでいいかなって笑
所: いやーすごい。でもそう。本当に、じゃあもうここ10何年とか、例えば今、日本語に来るのを待ってとかじゃなくて、まつもとさん自らも行くし。
まつもと: そうだね。どっちかっていうと、Rubyに関して言うと、我々の方が情報を発信する側だよね、作る側で。
所: いやー、今だって言っても今でもなんか Ruby ちょっと日本に閉じてる感じしますけど、日本語の情報量が多い感じが。
まつもと: えーとね、情報量全体でいうと海外のが多いと思いますが、コミッターは日本人のが多いしで、何て言うの?あのコア開発者会議みたいなものは、まあ今でも日本語で開かれたりするんで、議事録は全部英語で公開してますけど、そういう意味で言うと、開発は日本人のが圧倒的に多いですね。
まつもと: ただ、海外の人も当然コミッターとしてはいるし。で、プルリクエストとかで、あのイシュートラッカーで議論したりとか、英語でしてるし。
まつもと: で、まあ何て言うの、昔はね、あのRubyの開発は日本人が日本語で密室でやってるみたいな言われ方をしたことがあったんだけど、えっと、それは言われないぐらいにあの情報公開はするようにしてました。
まつもと: ちょっと反省して笑。
所: いやなんかこの僕は話聞いてて、まつもとさんすごい淡々と言ってるけども、本当にこうなってないプロダクトとか今いっぱいあるんだろうなと思って。
まつもと: そうですね。
まつもと: Rubyという前例がある割には、例えば日本人主導のオープンソースソフトで海外に出てきたものってそんなにたくさんはないので、そういう意味で言うと。
まつもと: そうそうですね。たぶんもったいないことはたくさんたくさん起こってるんだと。
所: たくさんたくさん起こってると思います。だからそれをその、たぶんこれ聞いてる人って、たぶん海外移住したい人って、たぶん20代後半から30代、たぶんここが一番のボリュームゾーンらしいんですよ。
所: で、やっぱそれ超えると、このちょっと子供ができたりとか、家を買ってたりとかすると動きづらい。
まつもと: 家を買ってたりとかすると動きづらいですよね。
所: ここでこう、僕も実際移住したのは30でしたね。でもなんかこの辺の人たち。
所: だから多分ね、数字見ててもそうなんですよ。で、こここの辺の人たちで、なんかこう僕が言うのもあれですけど、なんかこう一人でもなんだろう、こう勇気を持って出していくと、それがそんな難しいことじゃないんだ。
まつもと: そうですね。まあその、何が幸せかは自分が決めるんだけど、ただその中に、もしかしたらその日本でないところに住むことが幸せって人もいるかもしれない。
まつもと: で、でまあ、その人がこう自分の可能性を閉ざしてしまわないっていうのは、まあいいことですよね。
所: なんか別に海外に行く行かないというよりかは、なんかそれこそ、言語というか価値観というか、その、別にまつもとさんだって移住したわけじゃないけども、でもこんだけガンガン海外に行ってるわけじゃないですか。
所: その、まあマインドセットというか、なんかその辺がすごくこう僕はなんか今話聞いてて、結構このポッドキャストとかでも言いたいというか、聞きたいことの一つなのかなと思ったりしました。
まつもと: そうですね。
まつもと: あの、なんだろう、こう、僕はクリスチャンなので、聖書の中にその同じ国籍の者っていう表現があるんですよ。
まつもと: つまり、その元々の人種だったり、元々の国、生まれた国やパスポートの国とかはそれぞれ違うかもしれないけれども、まあその、この場合はクリスチャンとして同じ信仰を持ってますっていうニュアンスの言葉なんですけど。
まつもと: で、同じことはたぶんテクノロジー業界にも言えると思って。
まつもと: で、ある人は日本人、ある人はアメリカ人、ある人はヨーロッパの人なんだけど、カンファレンスに集まってみると、実はそのRubyが好きで、プログラミングが好きでっていうことは同じで。
まつもと: で、そういうところを見てコミュニケーションできたら、その友達として、いや、俺もRuby好きなんだよとかでもRubyの方がいいんだよみたいな話ができると、こうなんか友よっていう感じになるんじゃないかなと思うんですよね。
まつもと: それは日本にいてプログラミングに全く興味がない人とコミュニケーションするのと、日本語でそれから海外に行って、つたない英語でこうなんか気の合う、同じ趣味を持っている、同じ好みを持っている人たちと仲良く話し合うのって、どっちが楽でどっちが楽しいかっていう話ですよね。
まつもと: たぶん、同好の人と話をする方が楽しいんじゃないかなって。
所: いや、それすごく分かります。そういう意味だと、じゃあまあ、まつもとさん、まあ、話が合う人がたまたま外国人だった。
まつもと: Ruby作った時は、結局私が好きな私が欲しい言語を作ったわけですよね。
まつもと: なんだけど、意外と他の人がRubyいいじゃないって言ってくれたってことは、その人たちは日本人であるかが日本なんていうのをアメリカ人であるか、どこの国であるかにかかわらず、そのRubyが好みにあったわけですよね。
まつもと: つまり、私と同じ、または似た好みを持ってるわけですよ。そういう人たちとこうやりとりする、話するのは、それは楽しくていいよねみたいな。
まつもと: こう、プログラミング楽しいよねって話をしたらいいんじゃないかなって思いますよね。
所: ああ、分かります、それ分かります。
所: ありがとうございます。まあなんか話はなんかもうどんどん尽きなそうな気がしますけど。
所: なんかなんかもう、じゃあ。
まつもと: そうですね、無限に話すと後の編集が大変なので。
所: いえいえそれむしろ、まつもとさんの時間を(これ以上)もらうのも。いやほんとありがとうございます。
所: じゃあ今回はこの辺で、あの締めたいと思うんですけども、もう超スペシャルゲストのあのまつもとさんをお招きしてっていうか、僕はお邪魔してお話を聞かせてもらいました。
所: はい。まつもとさん、ありがとうございました。
まつもと: こちらこそありがとうございました。